みんなが踊っているのに、ひとりだけ踊らない。
そんな場面を見ると、親は少し気になります。
楽しめていないのかな。
恥ずかしいのかな。
できないのかな。
参加したくないのかな。
でも、成長を見てきて、私は少しずつ別の見方をするようになりました。
「踊っていない」ではなく、
この子はいま、何をしているんだろう。
そう考えるようになりました。
0歳3か月|まず、よく見る子だった
赤ちゃんの頃から、よく人や物を見ていました。
0歳3か月の頃、外で食事をしていたときのことです。
隣の席にいた小学生くらいの男の子を、ずっとじーっと見ていました。
あまりにも見続けるので、その子から、
「見〜て〜く〜る〜〜」
と言われたほどです。
もちろん、生後3か月のときに何を考えていたのかは分かりません。
それでも、人の顔や動き、その場で起きていることを、じっと見ている時間がよくありました。
1歳頃|踊らない=参加していない?
少し大きくなってからも、その姿は続きました。
みんなで音楽に合わせて身体を動かす場面でも、すぐに一緒に動くというより、まず周りをよく見ていることがありました。
その場だけを切り取れば、
「踊らない子」
に見えます。
でも私はだんだん、
踊っていない時間にも、何かを受け取っているのかもしれない。
と思うようになりました。
2歳頃|泣いていたのに、イントロで即動いた
2歳頃、みんなの前で音楽に合わせて身体を動かす機会がありました。
始まる直前まで泣いていました。
今日は難しいかな、と私は思っていました。
ところが、曲のイントロが流れた瞬間、すぐに動き始めました。
リズムに合わせて足踏みをしながら、その場でくるくる回る。
周りの子たちがまだ棒立ちの中で、先に音楽に反応していました。
そして、会場から手拍子が聞こえてくると、そのリズムに合わせて、身体いっぱいを使うような大きな手拍子を始めました。
そのまま一曲を通して身体を動かしていました。
直前まで泣いていたのに、音楽が始まった瞬間に違う姿を見せた。
そのとき私は、
「踊る子」「踊らない子」と簡単には分けられないんだな。
と思いました。
同じ子でも、その日の状態や、その場の雰囲気、きっかけによって、出てくる姿は変わります。
今|その場でやらなくても、あとから出てくる
今でも、集団で何かをする場面では、みんなと同じ動きをするより、周囲を見ていることがあります。
一方で、別の場面では驚くほど集中していたり、家に帰ってから、見聞きした歌や言葉を再現したりすることもあります。
その場では目立った反応がなかったのに、あとから突然出てくる。
そんなことが何度もありました。
だから今は、
「その場でやらなかった」ことと、
「何も受け取っていなかった」ことは、同じではない。
と思っています。
子どもを見ていると、どうしても目に見える行動に注目します。
踊った。
歌った。
答えた。
走った。
できた。
目に見えるものは、分かりやすいからです。
でも、その前には、
見ている。
聞いている。
覚えている。
考えている。
そんな、外からは見えにくい時間もあるのかもしれません。
長く見ると、その子なりの姿が見えてくる
もちろん、周りの子がしていることを、自分の子だけがしていないと心配になることはあります。
私も何度もありました。
それでも、
「どうしたらやるだろう」
と考える前に、
「この子はいま、何をしているんだろう」
と、一度見てみる。
そして、一つの場面だけではなく、少し長い時間で見てみる。
0歳の頃。
1歳の頃。
2歳の頃。
そして今。
時間をつないでみると、その瞬間だけでは分からなかった、その子なりのやり方が見えてくることがあります。
踊らなかった子が、何もしていなかったとは限らない。
見て、聞いて、覚えて。
そして、自分のタイミングで動き出すこともある。
長く見てきて、私はそう思うようになりました。
Inquire from Zero
子どもを「できた・できない」で見る前に、
まず、その子が何を見て、何を試しているのかを観察する。
0歳から始める、観察する育児。
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