観察しても、何もわからない日がある。

観察する育児を続けていると、
ときどき、
「今日は、何も分からなかったな」
と思う日があります。

いつもみたいに、
はっきりした反応があるわけでもない。
新しい気づきがあるわけでもない。

ただ、一日が過ぎていく。


目次

「観察できなかった日」だと思っていた

以前の私は、
そういう日を
「観察できなかった日」
だと思っていました。

もっと見なきゃ。
もっと記録しなきゃ。
何か書けることを見つけなきゃ。

そんなふうに、
自分のほうが焦っていた気がします。


分からない日があってもいい

でも、あるとき、
ふと思いました。


観察しても、
何も分からない日があってもいいのでは?

子どもは、
毎日、必ず何かを「見せてくれる」わけではありません。

試している途中かもしれない。
内側で整理している途中かもしれない。
ただ、安心して過ごしているだけかもしれない。

外から見える変化がない日も、
中では、ちゃんと時間が流れている。


観察とは、答えを出すことではない

観察とは、
「何かを見つけること」ではなく、
分からなさと一緒にいられること
なのかもしれません。

分からないからといって、
失敗ではない。

書けないからといって、
意味がなかったわけでもない。

むしろ、
何も起きていないように見える日こそ、

  • 急がせなかった
  • 評価しなかった
  • 意味づけしなかった

そんな時間だった可能性もあります。


問いと一緒にいられる時間

私は最近、
「今日は何も分からなかったな」
と思えた日を、
少し大事にするようになりました。

分からなかった、という事実ごと、
その子の時間だったのだと思えるようになったからです。

観察は、
成果を出すための行為ではありません。

成長を証明するためのものでもない。

ただ、

一緒に時間を過ごしていた、
という感覚を残すもの

それだけで、十分なのだと思います。

分からない日がある。
書けない日がある。
何も言葉にできない日がある。

それでも、
その時間は、ちゃんと積み重なっている。

観察は、いつも答えをくれるわけではない。

でも、

問いと一緒にいられる時間

を残してくれる。

私は、それでいいと思っています。


このブログでは、
観察する子育てと、日々の小さな気づきを静かに綴っています。

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この記事を書いた人

0歳からの探究育児。観察・対話・ことば・環境づくりを通して“育ち”を見る視点を発信しています。Inquire from Zero 主宰。

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